英語を話せるようになりたい!でもなかなか上達しない。
なぜなら・・・
■英語が話せないことが恥ずかしく、なかなか話したりするのが難しい。
■自分の英語が間違っていないか自信がなくてなかなか話せない。
このような気持ちを持つことは、英語を勉強する障害になってしまいます。
今回はこのような気持ちをもっている人のために、「鈍感力」を紹介し、この力が英語力の向上にどのように有効であるか、帰国子女の観点から説明します。
「鈍感力」とは
この記事を書いて「鈍感力」について紹介しようと思ったきっかけは、最近読んだ本との出会いからでした。
それは渡辺淳一さん著の「鈍感力」(集英社文庫)です。
私たちは「鈍い」といわれると少し嫌な気分になります。
逆に「きみは鋭いね」といわれると少しうれしい気持ちになります。
ところが渡辺さんは著書『鈍感力』の中で、どれほど「鈍感力」を身に着けることが有益なことであるか、たくさんの例を挙げて説明しています。
渡辺さんは「鈍感力」を同書で下記のように説明しています。
たとえば、政界など問題を起こしながら平然としている政治家に対して、「鈍感力のある政治家」などと表現している記事をみかけることもあった。
わたしはこうした記事を書いた新聞記者に、『鈍感力』をきちんと読むように、と注意したことがあるが、この使い方は明らかに間違っている。
いうまでもなく、こうした無心家で鈍感な男は、単なる鈍感でしかない。
だが、わたしが本書で述べている鈍感力とは、長い人生の途中、苦しいことや辛いこと、さらには失敗することなどいろいろある。そういう気が落ち込むときにもそのまま崩れず、また立ち上がって前へ向かって明るくすすんでいく。そういうしたたかな力を鈍感力といっているのである。
著:渡辺淳一 「鈍感力」(集英社文庫)
なので、「鈍い」といわれると嫌な気分になるのは普通で、「きみは鈍感力があるね」といわれると嬉しいということですね。
ちなみに同書によると、この「鈍感力」という言葉は、2007年の流行語大賞にもノミネートされていたそうです。
渡辺さんは医師でもあったことから、医学的な見地をはじめ、医師としての生活、恋愛、結婚、出産、会社生活、環境適用などの観点から「鈍感力」を持つことの有益さを同書で説明しています。
渡辺さんが環境適用の観点から説明していることのひとつに、「環境に馴染む」ということがあります。
例えば、自分の出身地から出て、他の都市に住んでも馴染んで元気に生活することができる。
海外へ出て、環境、人種、文化、言語などいろいろな違いがあっても環境に適用して元気に生きていける。
これは一般的に「環境適用能力」というようにいわれていますが、その根底にあるのが「鈍感力」であると渡辺さんは同書で説明しています。
私の留学経験からも、これは同感で正しいといえます。
わたしの留学と「鈍感力」
他国にいってもまずは健康でいられることは重要で、それが旅行であろうと、留学であろうと、出張であろうと同じ事です。
長期的な留学を考えれば、学業の基盤となりますから、身体的な健康は非常に重要です。
しかし、私たちはただ健康であるだけでは生きていくことはできません。
私たちには社会性も必要です。人との交流です。これは精神的な健康にも影響する重要な部分です。
留学における人との交流にはもちろん英語が必要になります。
■英語が話せないことが恥ずかしく、なかなか話したりするのが難しい。
■自分の英語が間違っていないか自信がなくてなかなか話せない。
こんな気持ちを持っている人は、とても敏感で神経質で失敗を恐れ英語を使わないため、英語の習得には時間がかかります。
わたしは留学中、なかなかうまく英語が話せなくて、ついには英語を話すことが嫌になり、日本人とずっとつるんでいる留学生を何人も見てきました。
彼らは結局英語を身に着けられず遊び惚けてしまい、大学の単位も何回も落としていました。
反対に自分の英語が間違っていようが、いろいろな国の人との交流を楽しんでいる留学生は英語が話せるようになる人が多かったです。
私も後者のひとりでした。
当初は、英語はうまくは話せないし、周りの外国人と飲みに行っても何をいっているかわからない。
誰かが冗談を言っても意味がわからないから、わかったふりをして一緒に笑う。
授業のプレゼンも片言の英語で、どちらかというとボディランゲージで頑張って伝える。
このような感じでした。
でも気にしませんでした。
なぜか?
「結局、言葉は道具に過ぎない」という考えを持っていたからです。
外国人と飲み行って言っていることがわからなくても、冗談がわからなくても、いいんです。その場にいられる時点で、楽しい時間を過ごせているわけです。
十分目的は達成しているはずです。
プレゼンも片言でいいんです。プレゼンの道具は、パワーポイント、ボディランゲージ、言語といろいろあります。
そのうちの一つが完璧でないからといって、実際のところ伝わる内容はさほど変わりません。
現地の学生は母国語でプレゼンしますから、逆にしゃべりすぎて論点がわからなくなることが多かったです。
片言の英語であればしゃべりすぎることもありませんし、論点だけを伝えようと集中するので、かえって英語が第二言語の学生のプレゼンのほうがわかりやすかったりするものです。
この「結局言語は道具にすぎない」という考えが「鈍感力」を生んでいたのだと思います。
「鈍感力」を身に着けるための思考回路
■英語が話せないことが恥ずかしく、なかなか話したりするのが難しい。
■自分の英語が間違っていないか自信がなくてなかなか話せない。
こんな気持ちを持っている人に逆に聞きたいのは、だれがあなたの片言の英語のことなど気にしますか?ということです。
よく言われることですが、日本人は視野が外向きです。良い悪いではありませんが、これはいわゆる日本の「恥の文化」があります。
わたしたちは、周りの人がわたしたちのことをどう考えているかを気にします。
「わたしの英語はまわりからどう思われているのだろう。」などと気にします。
欧米の人は違います。視野は内向きで、彼ら自身に向いています。
彼らにとっては彼らがどうあるべきか、どう考えるか、何をしたいかなどが重要です。
彼らは私たちにも同じことを求めます。
そのため、私たちが話す言葉はどうでもよくて、あなたという人間がどう考えているか、が彼らにとっては重要なのです。
なので、他人の英語がたとえ片言であってもそれをバカにする人などいません。
彼らにとっては気にかけもしない、どうでもいいことなのです。
さらに言うならば、英語は世界の共通語です。
あなたの片言が彼らにとって初めての片言英語ではありません。
あなたの片言な英語は、彼らにとってはごく普通の日常のことです。
私も6年間の留学生活をオーストラリアで過ごしましたが、片言の英語をバカにされたことなど一度もありませんでした。
彼らは、わたしの英語ではなくて、わたしという一人の人間が何を伝えようとしているのかを聞いてくれました。
そのため片言で話しても通じます。
さらには、言語は使うことによる失敗の連続でうまくなっていくものです。
1回の失敗に、あなたの言語に対する意欲をそがれてはいけません!
「結局、言葉は道具に過ぎない」のです!
今日紹介したわたしの体験が、皆さんの言語を学ぶ上での「鈍感力」を身に着けることのきっかけになれば幸いです。
「鈍感力」持つことは言語を勉強するうえで大切なことであり、近道なのです。